デュアルディスプレイを使っていない人間は、どうやら今の世では生産性の落ちる者らしい。
パソコンで作業をする同業者などに話を聞くと、「画面は多ければ多いほど良い」という無言の圧力が漂う。
「うちは4枚ですね」「横にExcel、縦にコード、右上にテキスト」など、手と目がいくつあっても足りない構成にしているそうな。
私も一度はそれに倣った。机を広げ、モニターを2枚に増やし、角度を微調整し、電源タップを買い足した。
が、どうにも落ち着かない。仕事がはかどるどころか、目が泳ぐ。視線が右往左往する。
いつの間にか、机に向かうことが億劫になっていた。
これはもしや「罠」ではないか。デュアルは絶対だ、という思い込みに取り憑かれていたのではないか。
そう思ってシングルモニターに戻したところ、拍子抜けするほど快適になった。
以下、その理由を5つにまとめる。
デュアルディスプレイをやめて、シングルモニターに戻した理由
- デュアルは視線の横移動で酔う
- デュアルは物理的に邪魔
- デュアルはマウスの移動距離が長い
- デュアルの電気代と発熱で、財布と気力が削られる
- デュアルモニターは気が散る
順に掘り下げる。
理由①:視線の横移動がしんどい。酔う
デュアルディスプレイにすると視線がとにかく右へ左へ忙しい。これは地味にくる。
眼球が常にパス回しをしているようなもので、気がつけばこめかみの奥がぼんやりと重い。
特に私のように、同じ色をずっと見ていると疲れる性質の者には、左右で明るさや色温度の微妙に違うディスプレイは拷問に近い。
知らず知らずのうちにピント調整を繰り返し、目が追いつかずに軽く船を漕ぐ。そのうち「めまい」を覚える。
これを「酔う」と呼ばずして何と呼ぶのか。別に仕事中にクルーズ気分は味わいたくない。
理由②:デュアルは物理的に邪魔
机というのは、本来すこし余白があってこそ落ち着くもの。
それがモニターを二枚並べると、まるでパーティションのように視界を囲まれてしまう。
電源ケーブル、HDMI、スピーカー、スタンドの足――そのすべてが視覚ノイズとなり、作業空間がどこかせわしなく感じられる。
机の上にコーヒー一杯を置くスペースさえ気を使うようになり、気づけば机は「作業場」というより「機材置き場」と化す。
仕事が忙しいのではなく、モニターが騒がしい感じがつらく感じる
理由③:デュアルはマウスの移動距離が長い
デュアルだと「画面をまたぐ」という小さなストレスが絶えず発生する。
マウスポインターを探し、戻し、クリックし損ねて戻る――こうした小さな無駄が積み重なり、肩が凝る。
「マウス移動」に時間を費やしすぎると、人生の風通しも悪くなる気がする。
シングルモニターでの作業なら、視線とマウスの動きが直感的につながる。
ストレスがないというより、「意識する必要がない」。
脳のリソースも節約できる。これは大きい。
理由④:電気代と発熱が静かに財布と気力を削る
当たり前のことではあるが、モニターが2枚あれば、電力も発熱も2倍近くになる。
それが月にしてどれだけの額になるかは作業環境によって異なるが、私のようなフリーランス業にとって「無視できるほど小さくはない」レベルになる。
そして見落としがちなのが、パソコンからの発熱。
夏場の机周りに熱源を2つ抱えて作業することの地味な苦痛。
冷房効率も下がるし、何より不快指数がじわじわ上がる。
仕事とは戦うべきものではなく、付き合っていくものである。
だからこそ、環境を静かに整えたいところ。デュアルモニターは、静かな人生のじゃまをし、気力を削りにくる。
理由⑤:デュアルモニターは気が散る
ここまであれこれ述べてきたが、結局のところこれが最も大きな理由。
モニターが1枚しかないと、物理的に「目移り」しようがない。結果として、目の前の作業に集中しやすくなる。
画面が多すぎると、あちらこちらに気になるポイントが生まれる。これでは集中できない。
作業の生産性とは、情報の多さよりも「今この瞬間に集中できるかどうか」にかかっているのだと、改めて感じるようになった。
【結論】便利さより静けさが欲しいので、シングルモニターを使う
デュアルモニターが合う人もいる。職種によっては必須だろう。
ただ、自分には合わなかった。
とはいえ、シングルモニターでも、今は十分に広くてきれいな画面が手に入る。
ウィンドウを整えて、画面を分割していけばなんとか作業にはなる。というか、現時点で、これで何ひとつ不自由はない。
むしろ、シングルモニターであれば「必要なものだけが、そこにある」という安心感がある。
――ただ1点。
デュアルモニターを使いこなし、右へ左へと作業を効率的に進める人々に、憧れの念を抱かない……というのは、やはり嘘になる。
「目線を動かしても、酔わない体質」であれば、自分もデュアルモニターでキャッキャウフフとしていたとは思う。無念。