ゲームやめたい。ほんとうに、やめたい。
心の底から、真剣にそう思っている。
真剣だからこそ、ゲーム機本体を手放したり、スマホアプリゲームの場合はアンインストールしたりもする。
それなのに、気づけば同じゲームを、またダウンロードしている。
何十回、同じゲームを買いなおしたか数えていない。
売ったはずの本体を再購入し、消したアプリを数日後には再インストール。
タブレットごと売った日もあったが、数日後に同じタブレットをまた購入――なんてことも経験済み。
タブレットは三台目。しかもゲーム専用。もはや笑うしかない。
これは、巷でよく聞く「ゲーム依存か?」と、ようやく疑念が湧いたが、やめられん。
そこで今回は、「やめたいのにやめられない」人間が、そのままの視点で、どうやって”やめ続けてるか”の話をしてみる。
やめた。戻った。やめた。また戻った。で、気づいたこと
以下は、意味ない。
「ゲームをやめるには、ゲームごとアンインストールしましょう!」
「ゲーム本体ごと、手放しましょう!」
アプリ消しても、すぐインストールする手順を覚えてる
アプリを消しても、「ああ、あのゲームまたやりたいな」と思った瞬間、手が勝手にアプリゲームを再インストールする。
アプリゲームを削除して「これでもう終わりだ」と思ったはずが、数日も経てば手が勝手に再インストールしている──そんな経験、数えきれぬほどある。
多くの人は言う。「一度消したら、また1からやり直す気になれない。だからこそ、消してしまえば終われる」と。
だが、それは真実ではない。少なくとも、私にとっては。
むしろ楽しいのである。1から始めるのが。
なぜなら、一度すべてをやりこんだ身は、最適解を知っている。
育成の段取り、リセマラのポイント、罠となる無駄な育成……それらすべてを把握した上での再出発は、なんかもう、たまらん。
この快感は、むしろ、答えを知ったうえで解き直すテストのような、奇妙な高揚感すらあるのだ。
だからこそ、消しただけでは終わらない。むしろ「また始めたい理由」が増えるだけのときすらある。
つまり、「消す」だけでは止まらない。
「本体売った」は、ただの時間稼ぎだった
プレステなどのゲーム機本体を売るのも、むり。
スチームのアカウント削除もむり。
どうせすぐ買い戻したり、アカウントの再作成をしてしまう。
本体を売るって、たしかに一時的には効果あるけど、「また始めるまでの面倒さをちょっと増やす」だけ。
あと、ものすごく散財する。財布に10,000ダメージ。
「ゲーム依存やめたい」って調べて出てくるアドバイス、だいたい無理説
ゲーム依存の対策向けにいろいろ調べていると出てくる助言の各種は、あまり役に立たなかった。
「新しい趣味を見つけましょう!」みたいなやつ。
だって、ゲーム以外、何をやっても楽しくないですもん。
「他の趣味を見つけよう」←それができたらやってる
「釣りとかどうですか?」「手芸、楽しいですよ?」みたいな提案を見ると、泣きたくなる。
ゲームに代わる趣味なんて、探して見つかるもんじゃない。
むしろ趣味がゲームであったからこそ、今に至るのであって、それに代わる何かなど早々あるまい。
「人と交流しよう」←気力がない
「人と交流を持ちましょう」「外に出て太陽を浴びましょう」
正論なのはわかるけど、正論で止められるなら最初から困ってない。
対人コミュニケーションって、エネルギー要るし、面白くなるまで時間かかるし。
ゲームの即効性には勝てない。
「専門家に相談しよう」←最終手段すぎる
「病院に行け」「依存症外来に行け」「カウンセラーに相談してみては」って、なんだかハードルが高すぎる。
たいへんごもっともだ。だが、できるならとっくにやっている。
そもそも、そういうことが自然にできる人は、そもそも深く沈まない。
医者に行くヒマがあったらゲームで遊んでいたいし、なんとなく病院にいくには心理的な抵抗がある。
「ゲーム配信をしてみたらどう?」←ムズい
よく言われる。「そんなにそのゲーム好きなら、いっそ配信でもしたら?」と。
たしかに、それでうまくいく人もいる。楽しみを 「アウトプット」に変えることで、依存から距離を取れるケースもあるらしい。
でも、配信がしたいんじゃない。ゲームがしたいのだ。
それも、自分だけの空間で、だらだら、黙々と、好きなだけ。
配信となると、話したりリアクションもいる。ある程度のテンポ感も求められる。
正直、私はゲームが特別うまいわけでもなく、しゃべりが得意なわけでもない。
やってみたら楽しいのかもしれない。でも、自分のプレイ動画に需要があるとは思えない。
ゲームの時間を減らしましょう
むり。
そもそも「ゲーム依存」とは何?どこから依存なの?
「日常生活に支障が出ているなら依存症かもしれません」などと、どこかのサイトには書いてあった。
出てる。支障は、めちゃくちゃ出ている。仕事の締切が近づくと、なぜかゲームがやりたくなる。不思議でならない。
WHO(世界保健機関)は「ゲーム障害(GamingDisorder)」を、日常生活よりもゲームを優先し、やめたいのにコントロールできない状態と定義している。
- やるつもりなかったのに始めてしまう
- 仕事や人間関係を削ってでも続けてしまう
- 自分でもマズいと思ってる
【臨床的特徴】
●ゲームのコントロールができない。
●他の生活上の関心事や日常の活動よりゲームを選ぶほど、ゲームを優先。
●問題が起きているがゲームを続ける、または、より多くゲームをする。出典:特定非営利活動法人ASK
【ゲーム依存対策】やめるのではなく「やめ続ける」しかない
「ゲームをやめたい」と何度も思った。売ったり消したり、端末ごと手放したり。
でも、むりだった。
「ゲーム一生やらない」と決めるのは、かえって負担になる。
だから私は、「やめる」よりも「やめ続ける」ほうを選ぶことにした。
今日だけやらない。明日も、できたらやらない。
三日目にやってしまっても、四日目にまたやめればいい。
それで充分だと思っている。いや、思うようにしている。
そうでもしないと、また機体を買ってしまうので。
ゲームをやめ続けるための、ちょっとした対策
ゲーム依存の本当の恐ろしさは、「やめたあと」にある。
いったん消したアプリ。封印したはずの本体。それらが、しれっと日常に舞い戻ってくる。
対策は少ない。どれもささやかで、地味で、手間ばかりだ。だが、それが案外効く。
やりたくなったら、とりあえず 「1分」だけガマンしてみる
「1分」というのがミソで、「一生やらない」は無理でも「今だけ1分やらない」なら、まだ勝負になる。
面白いことに、1分間ガマンできたら、その先も少しはガマンできる。
むしろ、1分間の 「やらないモード」に脳が切り替わるような感覚すらある。
散歩に出てしまうのが、いちばん手っ取り早い
歩く。たったそれだけのことなのに、信じられないくらい効く。
スマホも家に置いておくと完璧。
歩いてる間、ゲームの誘惑は頭に浮かばない。
浮かんでも、コンビニの看板とか、通りすがりの犬とかに消されていく。
それくらいで、いい。
1分でダメなら、5分だけ「ややこしいこと」をしてみる
どうにも手がうずいてしかたがないときは、少しだけ面倒なことをやってみる。
ちょっとだけ考えないと進まない作業──たとえば、
- 部屋の模様替え
- 資格の勉強
- クイズやパズルを解く……など。
これくらいがちょうどいい。
難しすぎると脳が嫌がるし、簡単すぎると飽きる。
絶妙に 「めんどくさいが、終わりは見える」タスクが、意外と効く。
「失った時間」ではなく「使えたかもしれない時間」で考える
ゲームに費やした8時間。
「8時間ムダにした……」と考えると、気が滅入る。
けれど、「この3時間で、バイトしてたら8,000円稼げた」と考えると、少しリアルになる。
つまり私は、8,000円払ってゲームを8時間楽しんだ計算になる。
その価値があるなら、いい。なければ、次はどうするか考える。
こういう変換をすると、ゲームに対する距離感が、ちょっとだけ変わる。
ハマっているゲームのムカつく箇所を、ひたすら書き出す
どんな神ゲーにも、必ずクソゲー要素はある。
むしろ、やりこめばやりこむほど、見えてくる欠点のほうがリアルだ。
だから私は、再インストールしたくなったとき、「ムカついたことリスト」を作るようにしている。
- イベントの周回が地獄
(同じ敵を何十回も倒すの、もはや修行) - ガチャの排出率が詐欺レベル
(100連して☆5ゼロとか平気である) - マッチング運がすべて
(努力が報われないPvP) - UIがとにかく不親切
(編成画面まで5タップとか、昭和か) - キャラのセリフが無限にスキップ不可
(毎日見るやつが、飛ばせない)
書いているうちに、「あれ……なんであんなにハマってたんだっけ?」という気分になってくる。
脳内で 「美化」されていたゲームが、 「ただのイライラ案件」に戻るのだ。
このリストは、自分にしか効かない最高の解毒剤。
書いてる時間すらちょっと面白いので、ゲームの代わりにちょうどいい。
「ゲームスイッチ」を視界から追い出す
起動のきっかけは、意外と視覚から来る。
YouTubeで実況動画を観たとき。X(旧Twitter)で誰かがスクショを上げていたとき。
それを見た瞬間、「やっぱやろっかな……」という気持ちがムクムクと起きてくる。
だから、私は、なるべくトリガーとなるものを視界に入れないようにはしている。
通知は全部オフ。おすすめ欄には一切触れない。
この 「視界バリア」だけで、ゲームへの導火線がずいぶん短くなる。
「またゲームに戻ったらこうなる」メモを貼っておく
これは本当に地味だが、効果がある。
冷蔵庫でも、ドアの内側でも、とにかく目につくところに貼っておく。
- 夜ふかしで寝不足
- 課金して後悔
- 気づいたら休日が丸ごと溶けてる
こういう 「すでに味わった失敗」を、あえて見える化する。
記憶は都合よく美化されがちだが、紙にすると意外と残酷なままだ。
やめたい気持ちは本物。だからこそ「今日もやらなかった」を誇りに
私は「ゲーム克服しました」と胸を張ることはできない。
むしろ、今日も「危なかった」が、「なんとか回避した」という日が続いているだけだ。
だが、それでいいと思っている。
完全にやめられなくても、やめる努力を続けている限り、そこには前進がある。
「今日もやらなかった」と日記に書けたなら、それだけで拍手を贈ってもいい。
次の日またやってしまっても、次の次の日からまた、やめればいい。
それを繰り返すうちに、「やめたい」が「やめられる」に近づいていく気がする。
おまけ:筆者の人生を沼に沈めたゲームリスト(一部紹介)
致命的なやつ | ・風来のシレン |
やや致命的 終わりが見えにくい | ・ディスガイア ・モンスターハンター ・ツムツム ・パズドラ ・ウルティマオンライン |
ある程度クリアすれば 離れられる系 | ・ドラクエ ・ファイナルファンタジー ・女神転生 ・タクティクスオウガ |
サ終 | ・メルクストーリア |
今もやってる | ・プロスピA |