かつて、読書は習慣だった。
駅のベンチ、電車の中、喫茶店の隅、寝る前のベッドの中。どこでも本が開けたし、すぐに物語に入り込めた。
ところが、最近、どうも本が読めなくなった。
本を開いても集中できず、ページをめくっても頭に入らない。しまいには「読む」という行為そのものに疲れてしまう。
この現象は、私だけではないようで……
どうやら多くの人が、「昔は読めたけれど、今は読めない」といった悩みを抱えているようだ。
読書ができなくなる理由は、ひとつではない。いくつもの小さな変化が積もり、活字との距離が遠くなっていく。
今回はその理由を、思い当たる範囲で拾っていく。
昔は読めたのに、なぜ今は本が読めなくなったのか
年々、本が読めなくなったと感じる理由は以下。
- SNSやウェブサイトの「飛ばし読み」に慣れてしまった
→文字が遅く感じるようになった - 読書中に他事が気になって、集中できない
- 物語が読めすぎてしまい、没入できない
- 読書中に他事が気になって、集中できない
- 目がぼやける・ピントが合わない
- 本を読む意味が、よくわからなくなっている
順に掘り下げる。
SNSやウェブサイトの「飛ばし読み」に慣れて、文字が遅く感じるようになった
いつからか、本の進みが遅く感じるようになった。
Twitter(今はX)では1秒で笑えて、YouTubeではイントロを飛ばす。
ウェブサイトで情報収集するときは、見出しのみをポンポンポンと見ていく。
そんな日々に慣れた目で文庫本を開くと、描写の一文一文が「かったるい」ように感じる。
もちろん本が悪いのではない。
ただ、こちらの感覚が高速仕様に調整されてしまっているのだ。
かつては「ゆっくり物語が進む」のが味わいだった。
今は「なんでまだ始まらないの」と思ってしまう。この焦燥感が、読書の入口でつまずかせる。
読書中に他事が気になって、集中できない
読もうとすると、ふと「冷蔵庫の中身どうなってたっけ」と思い出す。
通知が鳴ったわけでもないのにスマホを手にとってしまう。
再び本に戻っても、「どこまで読んだか」が曖昧で、読み直しが続く。
これはもう、読書をしているというより、注意力と闘っている状態である。
生活の中で「一つのことに集中する」時間は、もはや贅沢になってしまった。
すべてが分断され、すべてが途中で止まる。
本だけが、何も変わらず「最後まで読んでくれ」と待っている。
物語が読めすぎてしまい、没入できない
たくさん本を読んできたからこそ、物語が読めすぎることがある。
「このキャラは裏切るな」「これは伏線だな」「たぶんこう回収されるな」
そんな予測が当たれば当たるほど、読む面白さが薄れていく。
これは、「読解力がついた」というより、物語の裏側ばかり見てしまう癖がついたのだと思う。
小説を読んでいるはずが、構造を確認する作業になってしまう。
かつて、先の見えない旅を楽しんでいたのに、今は「このルート知ってる」と言ってショートカットする自分がいる。
目がぼやける・ピントが合わない
物理的な問題もある。
目がかすむ。ピントが合わない。文字が細かい。読み始めて5分で目の奥が痛くなる。
ひとことで言うと、老化現象。目も年をとる。
しかもPC・スマホの画面ばかり見ていると、目のピントを調整する筋肉が固まり、紙の文字にすぐには合ってくれない。
眼精疲労は、読書にとって地味に致命的。
内容が面白いかどうか以前に、視覚的な苦行になってしまうのだ。
本を読む意味が、よくわからなくなっている
そして最後に──これは自分でも意外だったが、「読書って、いまの自分に必要なのか?」という問いが、どこかで芽を出していた。
情報を得たいならネットでいい。物語に触れたいなら映画やドラマがある。
本はゆっくりで、重くて、集中がいる。
その負荷に対して、自分が何を得ようとしているのか、答えが出ないままページをめくっている。
本を読む時間が、なにかを我慢して得る修行のように感じられる瞬間がある。
たぶんそれは、本が悪いのではなく、自分の「目的意識」が薄れているのだと思う。
なぜ読むかがわからなくなると、読む意味も消えてしまう。
読めないことを責めない。読む方法を変えればいい
昔のように読めない。それでも本に未練がある。
だからこそ、「読めない自分を責める」のではなく、「読める方法に調整する」ほうが建設的かもと思い、今、いろいろ試している。
- 小説よりエッセイにしてみる
- フォントが大きい本を選ぶ
- 10分だけ読む。集中できなくても、そこでやめる
- どんどん読もうとしない。1冊を1年ぐらい楽しむつもりで、じっくり読む
どれも正統派の読書ではないかもしれないが、やむなし。
大事なのは、再び本に触れる感覚を取り戻すことである。
読めない日は、読まなくていい。
でも、「また読めるようになるかもしれない」という感覚だけは、残しておきたいと思う。