昔は本を読めたのに読めない…読書に集中できなくなった理由6つ

昔は本を読めたのに、今は読めなくなった。読書に集中できない 考え

かつて、読書は習慣だった。

駅のベンチ、電車の中、喫茶店の隅、寝る前のベッドの中。どこでも本が開けたし、すぐに物語に入り込めた。

ところが、最近、どうも本が読めなくなった。

本を開いても集中できず、ページをめくっても頭に入らない。しまいには「読む」という行為そのものに疲れてしまう。

この現象は、私だけではないようで……

どうやら多くの人が、「昔は読めたけれど、今は読めない」といった悩みを抱えているようだ。

読書ができなくなる理由は、ひとつではない。いくつもの小さな変化が積もり、活字との距離が遠くなっていく。

今回はその理由を、思い当たる範囲で拾っていく。

昔は読めたのに、なぜ今は本が読めなくなったのか

年々、本が読めなくなったと感じる理由は以下。

  • SNSやウェブサイトの「飛ばし読み」に慣れてしまった
    →文字が遅く感じるようになった
  • 読書中に他事が気になって、集中できない
  • 物語が読めすぎてしまい、没入できない
  • 読書中に他事が気になって、集中できない
  • 目がぼやける・ピントが合わない
  • 本を読む意味が、よくわからなくなっている

順に掘り下げる。

SNSやウェブサイトの「飛ばし読み」に慣れて、文字が遅く感じるようになった

いつからか、本の進みが遅く感じるようになった。

Twitter(今はX)では1秒で笑えて、YouTubeではイントロを飛ばす。

ウェブサイトで情報収集するときは、見出しのみをポンポンポンと見ていく。

そんな日々に慣れた目で文庫本を開くと、描写の一文一文が「かったるい」ように感じる。

もちろん本が悪いのではない。

ただ、こちらの感覚が高速仕様に調整されてしまっているのだ。

かつては「ゆっくり物語が進む」のが味わいだった。

今は「なんでまだ始まらないの」と思ってしまう。この焦燥感が、読書の入口でつまずかせる。

読書中に他事が気になって、集中できない

読もうとすると、ふと「冷蔵庫の中身どうなってたっけ」と思い出す。

通知が鳴ったわけでもないのにスマホを手にとってしまう。

再び本に戻っても、「どこまで読んだか」が曖昧で、読み直しが続く。

これはもう、読書をしているというより、注意力と闘っている状態である。

生活の中で「一つのことに集中する」時間は、もはや贅沢になってしまった。

すべてが分断され、すべてが途中で止まる。

本だけが、何も変わらず「最後まで読んでくれ」と待っている。

物語が読めすぎてしまい、没入できない

たくさん本を読んできたからこそ、物語が読めすぎることがある。

「このキャラは裏切るな」「これは伏線だな」「たぶんこう回収されるな」

そんな予測が当たれば当たるほど、読む面白さが薄れていく。

これは、「読解力がついた」というより、物語の裏側ばかり見てしまう癖がついたのだと思う。

小説を読んでいるはずが、構造を確認する作業になってしまう。

かつて、先の見えない旅を楽しんでいたのに、今は「このルート知ってる」と言ってショートカットする自分がいる。

目がぼやける・ピントが合わない

物理的な問題もある。

目がかすむ。ピントが合わない。文字が細かい。読み始めて5分で目の奥が痛くなる。

ひとことで言うと、老化現象。目も年をとる。

しかもPC・スマホの画面ばかり見ていると、目のピントを調整する筋肉が固まり、紙の文字にすぐには合ってくれない。

眼精疲労は、読書にとって地味に致命的。

内容が面白いかどうか以前に、視覚的な苦行になってしまうのだ。

本を読む意味が、よくわからなくなっている

そして最後に──これは自分でも意外だったが、「読書って、いまの自分に必要なのか?」という問いが、どこかで芽を出していた。

情報を得たいならネットでいい。物語に触れたいなら映画やドラマがある。

本はゆっくりで、重くて、集中がいる。

その負荷に対して、自分が何を得ようとしているのか、答えが出ないままページをめくっている。

本を読む時間が、なにかを我慢して得る修行のように感じられる瞬間がある。

たぶんそれは、本が悪いのではなく、自分の「目的意識」が薄れているのだと思う。

なぜ読むかがわからなくなると、読む意味も消えてしまう。

読めないことを責めない。読む方法を変えればいい

昔のように読めない。それでも本に未練がある。

だからこそ、「読めない自分を責める」のではなく、「読める方法に調整する」ほうが建設的かもと思い、今、いろいろ試している。

  • 小説よりエッセイにしてみる
  • フォントが大きい本を選ぶ
  • 10分だけ読む。集中できなくても、そこでやめる
  • どんどん読もうとしない。1冊を1年ぐらい楽しむつもりで、じっくり読む

どれも正統派の読書ではないかもしれないが、やむなし。

大事なのは、再び本に触れる感覚を取り戻すことである。

読めない日は、読まなくていい。

でも、「また読めるようになるかもしれない」という感覚だけは、残しておきたいと思う。