変わった読書の方法14選

変わった読書の方法 考え

「最近、本が読めない」と感じる。

「一冊を読む」という行為が、まるで精神修行のように遠く感じられる。

私もかつては、湯船で文庫本を読みながらウトウトするような、そういう本との距離感を持っていたが、ある時期からどうにも頭が本を拒否する感覚が出てきた。

そこで、自分なりに編み出したり、人の真似をしたり、あるいは諦め混じりに遊んでみた変わった読書の方法がいくつかある。

どれも、真面目に読むことに疲れた人ほど合う読み方だと信じている。今回はそれらを紹介する。

本を、途中で放り投げる前提で読む

「本は最後まで読むものだ」という前提をまず疑ってみる。

読む前から「途中でやめてOK」と決めておくだけで、肩の力が抜け、読書が呼吸に近づく。

人は不思議なもので、「全部読まねば」と思うと急に本が重たくなる。

それなら、最初からやめどきを与えてしまえばいい。

期待せずにページをめくると、かえって愛着がわいてくることもある。

本のあらすじを三行に、雑に要約する

読み終わったあと、どんな本でもとりあえず3行であらすじをまとめてみる。

本を読み切れなかった場合は、読めたところまで、テキトーに要約をする。

正確さや網羅性は一切求めない。むしろ雑なくらいでちょうどよい。

たとえば太宰治『人間失格』なら──

「人と距離。酒と女。ずっとしんどい。」

これで終わり。

あらすじでなくてもいい。

とりあえず、その読書時間によって、「自分が何を拾ったか」を明確にすると、読書の余韻になる。

小説を「演じながら」に読む

小説に書かれた地の文やセリフ、すべて声に出して読んでみる。

舞台俳優のように情感をこめてもいいし、棒読みでも構わない。

声を出して読む」と、本が耳の中に入ってくる。

セリフ部分だけを拾って、登場人物の会話劇として再構成してみるのもおもしろい。

ラジオドラマの脚本のように、会話のテンポが生きてくる。

誰がどんな調子で喋っているか、想像するだけで読書に色がつく。

あえてネタバレ読書。最後のページから読む

小説の結末を先に読むのは、禁じ手とされる。

だが、それをやると不思議なことに、なぜこうなったのか、逆向きの興味が湧いてくる。

推理小説でもラブストーリーでも、ラストがわかっているからこそ、過程に目が行くようになる。

もはや本を読むというより、組み立て直す作業に近いが、これもおもしろい。

本の内容を短歌や俳句にする

一ページでもいい。読んだ内容を、五七五の型にしてみる。うまく詠もうとしなくていい。むしろ、ちょっとヘンな句になるぐらいが丁度いい。

たとえば──

カレー食い 本の感想 忘れたわ

とか、

二行読み あとはまるごと 寝落ちする

主人公 モテモテすぎて うさんくさい

これでいい。

情緒はあとから来る。とにかく読んだ言葉を、五七五に放り込む。

それだけで、自分の中に残りやすくなる。リズムがあると、記憶もついてくる。

続きを妄想する読書

面白い小説ほど、「続きが気になる!」と思う。なので、続きを実際に、自分で予想してしまう。

ある地点まで読んだら、本を閉じる。そしてそこから先は、自分で続きを想像する。

頭の中だけでもいいし、ノートに数行書いてもよい。

先の展開を、あえて自分仕様にすることで、読書が受け身でなくなる。

ページ写経で、まるごと手書きしてみる

読むことに集中できないときは、書いてしまえばいい。

一ページ、もしくは一段落だけを、まるごと手書きで写す。

もちろん、全部を書く必要はない。好きな文章、心に引っかかった言葉だけを丁寧に書き写していく。

すると、活字のインクが自分の手を通じて血のように流れ込んでくる。

これは「読む」ではなく「浸る」に近い。少々手間はかかるが、深く本と繋がれる。

適当に開いたページから読む

ページを適当に開き、そこから読む。まるで地図のない旅のように。

前後関係も分からないまま、いきなり文章の真ん中に放り込まれると、「これは何の話だ?」と自然に想像が働く。それが意外にも、集中力を生む。

全部読む必要はない。一ページ読んで何か引っかかるものがあれば、それだけでよい。

要約で全体像を先に見てから読む

私のような臆病な人物は、先にゴールが見えていると安心する。この性質を生かし、先に本の要約を読む場合もある。

本の内容をざっくりつかんでから読むと、なんというか……迷わない。

読書というより再確認のような作業になるが、読み進める速度はぐんと上がる。

もちろん、感動は薄れる。だが、読めないよりマシである。

同じページを毎日読む

一冊を丸ごと読むのもいい。でも、同じページを毎日読んでいると、不思議と、言葉の感じ方が変わっていく。

昨日は流して読んだところが、今日は刺さる。そういう発見が反復の読書にはある。

毎朝、歯を磨くように同じ文章を読む。やがてそれは、自分の中に沁みる言葉として沈殿していく。

苦手ジャンルにあえて突撃する

苦手なものほど、脳が拒否反応を起こす。だからこそ、あえて挑む。

「恋愛小説が苦手」なら読んでみる。「ビジネス書なんて…」というなら、その「なんて」を壊してみる。

不思議なことに、そこには自分でも知らなかった価値観のゆがみや偏見が潜んでいる。

読書は、己の知的バイアスをあぶり出す行為でもある。

私はこれで、恋愛本を何冊も壁にたたきつけた。

図書館で運命にまかせる読書

図書館に行き、「よくわからん分野」の棚に行ってみる。手に取る本も、表紙だけで決める。

読み方というより「選び方」の話だが、そもそも、本との出会いの時点で変わると、読書の味はまったく違う。

そこにあるのは、運と偶然、あるいは偶然を装った何かである。

知らない世界を、自分の中に開いてしまう。それだけで本は、旅になる。

読書はもっと、自由でいい

「読書法」と言っても、正しさを求めるつもりはない。むしろ、「読めない時代」においては、どう読まなくてもいいかの自由を確保することが先決である。

変な読み方でも、途中でやめても、たった1文だけ読んで寝ても、それでも私たちは本とつながっていられる。

読めない時代の、ささやかな読書術──あなたなりの変な読み方を、ぜひ探してほしい。